A A W s に 寄 せ て


地域と断絶された空間のなかで、わたしたちの起こしたことは意味を成すのだろうか ?

AAWsを通して、そばにいるときには見えにくいことや、距離を隔てても拭えないものを丁寧に観察し、考える機会とする。
わたしたちは熱海から帰っても、そこで起きたことについて考えることができるし、ここから熱海へ課題を持ち込むこともできる。

 

「アタミアートウィーク」は、主に東京の美大生・卒業生有志による、熱海の空き家や空き店舗を会場とした展覧会です。

2012年より毎年春に開催され、2018年3月に6回目を迎えます。

AAWsは、アタミアートウィーク2016出展作家の三枝愛を中心としたメンバーによる一年間の東京サテライトプロジェクトとして発足しました。

 

 

 

(以下、アタミアートウィーク2017報告冊子より)

 

そもそも、まる1年と少し前、アタミアートウィーク2016に参加を決めたのは会期まで2ヶ月を切った頃だった。熱海に滞在し、そこで抽出したものを作品化することを強いられたけれども、作品なんかはつくれない。それでもよければ参加します。というのがわたしの出した結論だった。

 

熱海で行われた実験は、ほんの一部の熱海の人々と、アタミアートウィークの運営者たちに歓迎されていた。そこに与えられた価値について、いろいろと確かめたいことがあった。それがこのサテライトプロジェクトを始めたきっかけだった。

 

アタミアートウィークは発表の機会を多く持たない若い作家たちに開かれた展覧会だと言う。それならば、東京にも協力してくれそうなスペースがあるが、そこでも試してみてはどうか?という提案に、ほとんど反射的に乗ってきた出展作家たちが、AAWsの名のもとに各々の実験の続きを試みた。

 

会場とわたしたちの間を取り持ち、1年間このプロジェクトに協力してくれたのは「参加」だった。

 

6,7,9月に三枝愛個展「山の砂の砂の山vol.1-3、そしてアタミアートウィーク2017に向けた顔合わせ、10月に若林菜穂個展「予定にない日」1月に石坂翔個展「スーベニア」、そして3月にはすべなつ+黒坂祐による企画でトークイベント「路上園芸とそのほか」、以上のイベントが開催された。

 

わたしはこのことによって、自身の、そして時を同じくして熱海という土地に出会った他の作家たちの、活動の行方について考える機会を得た。そして「参加」黒坂祐は、このプロジェクトを飲み込み、「参加」し、アタミアートウィーク2017の出展作家として振る舞った。それはもちろん、始めから予期していたことではあった。「参加」の認知と共に、わたし自身はアタミアートウィークから徐々に離れていった。そしてこのプロジェクトがどのように終えられたのかということを知らない。

 

熱海で掻き消された経験の多くは、その後築地で語られた。それがどのようなものであったかはさておき、機会を与えてくれた関係者の方々にこの場を借りてお礼を言いたい。

 

熱海にいると「忘れてしまいたい」という欲を、きりきりと感じる。わたしが本当にしたいと願ったことはその逆を行くものだったから、少々の後ろめたさや馴染めなさがあったのかもしれない。そしてその感覚がうやむやになって環境と同化してしまう前に手を打ったということだろう。流れていくことに前向きであるのは、熱海という土地に染み付いた歴史に由来するものかもしれない。

 

もう貧しくはない賑やかなあの街で、来年もまたアートウィークが行われるのだろうか。「アタミ」がはぎ取られて残ったもののことをなんと呼ぶべきか、自身の活動の中でどのような役割を持って存在しうるのか、未だにはっきりと言うことが出来ないでいる。あの街から連れ出したいくつかのもののことをこれからゆっくり考えていきたい。

 

【 2017年春 三枝 愛 】